ギターはどう弾くべきか。

雑記過ぎて色々批判受けそうで怖いですが・・・

 

まず最初に、私はセゴビアの演奏は好きです。

ただ、元々は好きではありませんでした。

音は綺麗ではないと思っていたし、フレージングも私自身ピアノでクラシック音楽に慣れてしまったのでとても不自然に感じた。

セゴビアの影響で一般的になっていた独特な右手首を大きく曲げる奏法も合理的ではないということで段々と廃れていきました。

それが自分でも色々と弾くようになるうち、自分には出せない音、フレージングを聴くうちに「この人すごいな」と思うようになったわけです。

真似したいとは思いませんが。(できるとも思えないし)

プロのギタリストでもセゴビアが好きな人は多いです。そういえば先日のNHKの番組では村治佳織さんと手塚健旨先生がセゴビアの魅力を紹介してましたね。

プロのギタリストの方々とお話してもセゴビアに否定的な方はあまりいません。

ただ、その一方で忘れがちなのが、「自分は以前セゴビアが好きじゃなかった」ということです。

プロや上級者に囲まれていると「セゴビアすごい!」と思いがちなのですが、ギターになじみがない方とお話するとセゴビアの演奏をいいと思う方が思いのほか少ないことに気付きます。

セゴビアに限らず、有名な先生方の演奏も聴く人によって評価は様々です。

ですので、ギター奏者が当たり前に「目指すべき」だと思っている演奏とお客さん(特にギターを初めて聞く方たち)が聴きたいと思う演奏は同じとは限らないどころかむしろ相反するのではないかというのが率直な感覚です。

もしお金をいただいて演奏するならばそれは商品ですので、提供すべきは後者になるのですが、前者の魅力もちゃんと伝えていきたいですよね。

私はまだまだ修行が足らず、なかなかこれを伝えられていませんが、「ギター演奏はこうあるべき」という追求だけでは決して伝わっていかないと思っています。

例えばフレーズを盛り上げようとするあまり些細なミスが混じることがありますが、多分多くの方にとってはフレーズが大きく盛り上がることよりも目に見えるミスがないことのほうが重要なはず。(重視する点の話で、クラシックにおいてミスが許容されているという意味ではありません)

また、甘いタッチ、重いタッチなどよりも耳障りの良いニュートラルな音のほうが好まれるかもしれません。

総じてポピュラー音楽では色々な要素について平均化していく(エフェクターもそうです)のに対してクラシックでは各要素を最大化することに努力を費やす印象です。

クラシックギター弾きとしてはこういったものを犠牲にすることはとても我慢ならないことでしょうが、聴いている側はこう思っているかもしれない、ということは頭に置いておくことは必要なんじゃないかなー、とぼんやりと思います。

また、ギター音楽の魅力に触れられるのが元々ギターに興味がある方だけ、という間口の狭さもここに起因してるんじゃないでしょうか。

何が言いたいのかわからなくなってきましたが、深さを求めつつも浅さは犠牲にせずに弾いていこう。

ちょっとだけぶっちゃけ話をしますと必死で難しい曲を弾くより「晩御飯何を食べようか、今日はテレビでは何がやってたっけ、明日の出勤早いんだよな」などと考えながら気楽にマリアルイサ弾いたほうがずっとウケるのでなんか違うんじゃないかと妄想してみただけです。

 

 

ちなみにセゴビアの名誉のために言いますが、私の師の一人、柴田杏里先生によると実はあの奏法はセゴビアの意図したものではなかったそうです。

セゴビアは手が大きすぎるため、コンパクトにするために手首を曲げざるを得ませんでした。

当時の日本のギタリストたちはギターの神様、セゴビアの奏法を映像や写真で研究してしまったため、特に日本に於いてあの奏法が広まってしまったそうです、しかもセゴビアの意図とは無関係に。

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